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王子のキスと王様のキス ―『王様、お手をどうぞ』SS

(※若干のネタバレを含みます。よろしければ、文庫読了後にどうぞ)


ドアの向こうから、眠りの気配がただよってきている。
雄弁な無音の意味に気づき、杏里はノブにかけた手を一瞬ためらわせた。再度、細心の注意を払い、そっとノブを回す。途端にベッドルームからさわやかな空気が流れ込んできて、からだに残る情事の余韻とシャワーの火照りを打ち払ってくれた。
眠りの主は、ゆるく起こした上体をベッドのクッションに預け、目を閉じていた。手許には今日の――いや、日付が変わってしまったからもう昨日か――新聞が落ちている。おそらく寝るつもりはなかったのだろう。シャワー前に彼が淹れてくれた紅茶が、サイドテーブルのティーカップに半分ほど残っていた。琥珀色の水面は、まだ完全に冷め切ってはいない。
どうしようか。ちょっと迷ってから、杏里は息を詰めてベッドに近づいた。ふちにそろりと腰を下ろす。マットレスのかすかな揺れが恋人の眠りを妨げていないことを確かめ、彼の寝顔を見つめた。
そういえば、江神の寝顔を見るのはこれが初めてかもしれない。やや神経質なたちなのか、何度ベッドを共にしても、彼はいつも杏里より後に眠りに就き、杏里より早く目覚めていた。こんなふうに眠り込んでしまうのは、よほど疲れているからだろう。家族に「家のための結婚はしない」と宣言した後も放逐は免れたらしいが、彼は彼なりに独立の道を模索しているようだった。最近とみに忙しそうにしている。
起きる気配がないのをいいことに、杏里は冷めかかった紅茶を片手に、恋人の顔をしげしげと眺めた。
秀でた額、力強い眉、通った鼻筋……整った顔だなと思う。惚れた欲目だけではなく。
普段はしかつめらしく、不遜にも見える表情が多い彼だが、今はどこか幼いような顔をして眠っている。厳めしい印象がやわらいで見えるのは、瞳が閉じられているせいだろう。彼の硬質な黒い目は、ともすればひややかで頑なな印象を与えるのだ。その目が自分を欲して潤み、情熱的に見つめてくる瞬間が、杏里は好きだった。
しばらくそうやって江神の顔を眺めていたが、やがて杏里にも睡魔が忍び寄ってきた。
冷めた紅茶を飲み干し、カップをサイドテーブルに戻す。ついでに灯りを消そうとして、ふと手を止めた。
体勢のせいで、江神の顔が目の前に迫っている。
何かの力に引かれるように、その唇にキスをした。自然のなりゆきと言うには杏里の意思が混ざりすぎ、けれど、出来心と言うにはそうすることが当たり前のような自然さで。
――と、睫毛が触れ合いそうな近さで、目蓋が開いた。
「……杏里」
何をしているのかいぶかしむ声音で、江神が名前を呼ぶ。眠りの世界に意識を半分置いてきたような雰囲気に、思わず笑みが浮かんだ。
「ごめん、起こしちゃったね」
「王子様のキスだからな」
やっぱり寝ぼけているのだろう。ピントのずれた彼のことばに、杏里は肩を震わせた。
「それじゃ、きみがお姫様になっちゃうじゃないか。おれはそれでもかまわないけど」
「……それは、だめだ」
眠くてしかたないらしい。普段の尊大な態度からは想像もつかない、妙に間延びした返事をしながら、江神は杏里の体を抱き寄せた。
外は熱帯夜。ほどよく効いた空調と、さらさらときめの細かいリネン。直に肌に触れる恋人の体温。
「至福」って、きっとこういうことを言うのだろう。
今度こそサイドテーブルのスイッチに手を伸ばし、囁いた。
「目覚めのキスはきみに譲るよ。明日の朝、一番によろしく」
だから、自分からは「おやすみ」のキスを。
「おやすみ」
もう一度、今度は彼の額にキスをして、灯りを落とした。
2014-08-01
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