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祇園宵歌  ――『京恋路上ル下ル』SS

祇園の町は、なんとなく異世界だ。
舞妓、芸妓、丹塗りの壁。「一見さんお断り」がまだ伝説になりきっていない町に、学生の自分は場違いだ。地元から遊びに来る友人たちを案内するたび、颯馬はそう感じていた。しらけた雰囲気の昼間ならまだしも、夕暮れの後はとくに。
その認識を颯馬は今夜改めた。夜の祇園はまったくの異世界だ。学生がいていい場所じゃない。
「ちょっと待って、ここ?」
一週間ほどぐずついた梅雨空から久しぶりに青空が覗いたその夕べ、祇園甲部の路地の奥、どこからか三味線の音が聞こえてくる小さな町屋を、颯馬は当惑気味に見上げた。
傍らに立った伊織がゆるりと首を傾げる。何にそんなに臆するのかと言わんばかりの表情だが、颯馬はかなり本気で困惑していた。
目の前の町屋は――いや、「町屋」と呼ぶのが正しいのかもよくわからないが、とにかくその建物は、颯馬の認識が間違っていなければいわゆる「お茶屋」のように見えた。
白壁に板塀、二階の窓には簾が掛かり、瓦屋根の乗った門に竹格子の引き戸がはめ込まれている。その奥には、「はな江」と白く染め抜かれた花紫の暖簾が、提灯の灯りにぼんやりと浮かび上がっていた。よくよく見れば、門の軒先の外灯にも小さく「はな江」と墨書がある。
「……伊織さん、俺、あんまり金持ってないんだけど……」
男として恋人にはあまり言いたくないことだが、言わずにはいられなかった。こんなところで見栄を張ってもしかたがない。颯馬はごく普通の大学生だ。今日だって大学から帰ってきたところを、「知り合いのとこつき合うて」と連れ出されての今だった。いや、「ばあさんの知り合いが、どうしてもおまえに会いたいて言わはんねん」とは言われた。「もしかしたら泊まりになるかも」とも言われた気がする。伊織の亡き祖母はつ江が、祇園の芸妓だったことも知ってはいる。だが、まさか、こんなところに連れてこられるとは思ってもみない。
珍しく尻込みする颯馬を横目に、伊織はおかしそうに深紫の和服の肩を揺らし・た。
「伊織さん」
笑いごとじゃないよと眉尻を下げる。彼は目を細めてきれいに微笑んで見せた。
「かまへんさかい、そのまんま、いつものまんま、ぼくの目ぇ見てにこにこしとり」
そう言って、格子戸を引き開け、暖簾の奥に向かって、「ごめんください」と声をかける。奥から「へえ」と応えがあった。こうなったら颯馬も腹をくくるしかない。
奥から現れたのは、白髪を上品に結い、藤色の和服を身に着けた女性だった。見事な白髪なので高齢なのだと思うが、背筋はしゃんと伸び、往年の美貌を彷彿させる顔立ちも相俟って、さっぱり年齢不詳だ。
彼女は伊織の姿に目を細めると、彼の京訛りよりもさらにやんわりとした、花街独特の抑揚で言った。
「まあまあ、伊織ちゃん、ようお越しやす、お越しやす」
「ご無沙汰してます、はな江さん」
「ほんまやわあ、寂しかってんえ。よう来とくれやしたなぁ」
「遅ぉなってすいません」
祖父の留蔵に見せるような、やさしげな表情で伊織は微笑む。その腕のあたりを、しなびた手で何度かさすり、彼女は道を空けるように立ち上がった。
「まあ、どうぞおあがりやす」
三和土に草履を脱いで上がりながら、伊織が「お言葉に甘えます」と答える。二人が通されたのは六畳に床の間の付いた簡素な和室だった。外観も古そうだったが、内部も相当年期が入っている。床が若干傾いているように感じるのは気のせいではないだろう。歩くと、ところどころ畳が沈む。
座卓の一辺に並んで座ったタイミングで、くん、とシャツの袖先を伊織に引かれた。はっとして、提げてきた紙袋から取り出した箱を差し出す。
「あの、これ、よかったら」
「まあま、金平糖。おおきに。ほんま、おおきに」
うれしそうに受け取り、はな江は二人にお茶を淹れてくれた。茶托に乗せて出されたお茶を「いただきます」と口に運ぶ。伊織の淹れるそれほどではないが――と思うのは、惚れた欲目もあるのだろう――ふくよかな香りが口に広がった。
「美味しいです」
「まあ、おおきに」
颯馬の言葉に大げさなほどうれしそうに笑い、それからはな江は、ふふふと含む笑みに表情を変えた。
「伊織ちゃん、紹介してくれへんの」
伊織はやはりやさしげな風情で笑い、颯馬に視線を流した。
「颯馬、言います。颯馬、こちらはばあさんの妹さん……言うてもわからんかな?」
「?」
妹と言うなら血の繋がった姉妹ということになるが、そういうニュアンスではなさそうだ。軽く首をかしげると、伊織はふっと微笑んだ。
「まあ、簡単に言うたら後輩の芸妓さんやった人で、はな江さん。今は芸妓やめて、この旅館の女将したはる」
その説明で納得がいった。
夜の町で生きる人たちの独特なつながりは、颯馬にはまったく縁がない。けれども、伊織にとっては親戚も同然の人なのだということはわかった。
「里見颯馬です。よろしくお願いします」
改めて頭を下げてから、ふと気になったことを口にした。
「ここ、旅館なんですか?」
「以前はお茶屋やったんどす。四十年ほど前にお茶屋はやめはって、今はわたしが旅館としてやらせてもろてます」
「そうなんですね。実は俺、今日ここに来るの知らなくて。表でお茶屋さんだと思って、すっごい緊張してたんです」
素直に吐露すると、はな江はほろほろと上品に笑った。伊織に視線を移して言う。
「こんなかわいい子ぉたぶらかして、伊織ちゃんたら悪い子ぉやなぁ」
「!?」
思わず口に含んだ茶を噴き出しそうになった。
(なに、この人、俺たちのこと知ってるのか!?)
慌てて視線を向けるが、伊織は涼しい顔で「人聞きが悪いですよ」と言い返す。
「たぶらかされたんはぼくのほうです」
「伊織さん!」
「あらま、ほんまに?」
面白そうに覗き込まれ、颯馬はしどろもどろに答えた。
「えっ? ええと、……はい」
「まあ、かわいい」
口調の端に、長年花街で生きてきた女性の色と凄みがちらりと覗く。颯馬など、この人の前では本当に子どもに過ぎないのだろう。
はな江が上機嫌に笑って席を立つ。いたずらな笑みをひとつ。
「仕出しのお願いしてきまひょ。今日はお客さん二組さんだけやさかい、あとでぎょうさんお話聞かせとくれやっしゃ」
黄ばんだ襖が音もなく閉じた。


はな江を交えての夕食は、近所の仕出し屋からの料理と酒を囲み、二時間ほどでお開きになった。
玄関から「ごめんください」と呼ぶ声がする。今夜の客が着いたらしい。時刻は十時を回っているが、「はな江」では珍しいことではないようだった。ここは祇園、夜の遊びは客の裁量。「はな江」は寝床と朝食だけを提供する、「片泊まり」の宿なのだ。
はな江が「はーい」と応えを返す。
「そしたら、ぼくらもそろそろ」
そう言って腰を上げかけた伊織を、はな江は立ち上がりつつ、「そんなこと言わんと」と両手で制した。
「お酒もぎょうさん上がらはったし、泊まっとくれやす。明日の朝ごはんはわたしが作るさかいに、なあ?」
「はあ……」
伊織は颯馬に視線を寄越した。「どうする?」と目でたずねてくるから、少しだけ首を傾げて微笑み、頷いた。「伊織さんのいいようにするよ」――声にせずとも、言いたいことはちゃんと伝わる。
「そしたら、お世話んなります」
そんなわけで、二人は「はな江」に泊まっていくことになった。
小さな浴場で湯をもらい、備え付けられていた浴衣に着替えて戻ってくると、部屋からはぽろぽろと三味線の音がこぼれていた。最初は部屋を間違えたかと思ったが、「ききょう」の間で間違いない。
部屋の襖をそうっと開け、中を覗くと、坪庭に面した縁側で伊織が三味線を爪弾いていた。雲間から射し込む月の光が、青白く伊織の輪郭を浮かび上がらせている。
不思議な光景だった。うつくしい絵を目の前にしたときのように、ずっと見つめていたいような、それでいて彼の視線をこちらに向かせたい焦燥に駆られるような――。
「……伊織さん」
衝動に正直に、颯馬は伊織の名を呼んだ。籐椅子に掛けた彼の足元に寄る。伊織の手元からぽろんと音がこぼれた。浴衣の膝に顔を埋め、颯馬はもう一度「伊織さん」と呼んだ。
「どないしたん?」
ほんの少し甘やかす声音に、「うん」と答えて言葉を探す。
「いちゃいちゃしたくなった」
顔を上げないまま、くぐもった声で口にすると、案の定伊織に笑われた。
「颯馬?」
声音が更に甘やかす色になる。頭上で身じろぎの音がして、ほっそりとした指が颯馬の髪を梳いた。
「はな江さんに俺のこと話したの?」
「うん……?」
笑みを含んだ相づちが先をうながす。
「伊織さんが、俺のことそういうふうに人に紹介してくれたの、はじめてだ。……うれしい」
「ぼくから言うたわけとちゃうよ。あの人がどっからか噂を聞いてきて、おまえに会いたいて言わはった」
「それでも」
うれしい、と、腰に腕を回して抱きしめる。伊織はくすくすと笑うばかりだ。
「伊織さん……」
自分の頭を撫でている手を取り、指先に口づけ、舐めた。伊織のからだは爪の色かたちまでうつくしい。上目遣いにうかがうと、伊織はやんわりと笑んでこちらを見た。そこに拒絶がないことをよくよく確かめてから、その細腰を抱え上げる。
「わっ、こら、颯馬!」
伊織の頭を鴨居にぶつけないよう注意を払って布団へ運んだ。上掛けを剥がし、敷き布団の上に彼を横たえる。出先だからとこらえていた抑制が、まったく利かなくなっていた。颯馬は伊織が好きで好きで、いつでも「好きだ」と伝えたくてしかたない。そんな相手に恋人として受け入れられている。今夜はそれをこんなかたちで知ることができた。うれしくて――触れたくてたまらない。
「ね、伊織さん、いい……?」
組み敷いた恋人を上から見つめる。懇願する声音に、伊織はかすかに目を見開いた。かと思うと、花が咲うような笑みを浮かべる。
「ええよ、」
ひそやかな声が颯馬を誘った。
「颯馬のええように抱いとくれやす」


翌日の朝食は、日もとうに昇った八時過ぎ、ほとほとと襖を叩く音と一緒にやってきた。旅館にしては遅い朝食だ。
「おはようさんどす。よう眠れましたやろか?」
昨夜の行為に気付いているのかいないのか、うかがわせることすらしない笑みで、はな江は朝食の膳を整えた。白米に漬物、野菜の炊き合わせと、二色の蒟蒻そうめんに味噌汁。目にも涼やかな京都の朝ご飯だ。
「おかげさまで」
昨夜の乱れた姿など一片も残さない涼しい顔で、伊織は「いただきます」と手を合わせた。
一人どぎまぎしている自分がどうにも子どもっぽく感じる。張り合ったところで、颯馬がこの二人に敵うわけもないのだが。
もくもくと朝食を口に運んでいると、不意に、ほほほとはな江が笑い出した。
つい視線を向けると、「いえねぇ」とおかしそうに口元に手をあてる。
「はつ江姉さんのかわいいお孫さんやさかい、わたしもこないしてかわいがらしてもろてますけど、こんなかわいい伊織ちゃん見たんははじめてやと思て」
「はな江さん」
咎めるような伊織の声にも頓着せず、はな江はいたずらめいた顔で颯馬を見た。
「今まで何度も、ええ人できたら連れておいで、言うても、一度も連れて来てくれたことなんかあらしまへんのえ。それが、あんたさんのときは、ちょぉっときいただけで……」
「はな江さん」
いささか語気を強めて伊織が遮った。顔をしかめているものの、目尻の下がほんのり赤い。はな江はますますおかしそうに笑い、「よかったわねぇ」としみじみと言う。
「伊織ちゃんにええ人ができて、わたしも安心どす。ちょぉっと素直やあらしまへんけど、颯馬はん、よろしゅうお頼申します」
老齢の美女に頭を下げられ、颯馬は慌てて頷いた。
「もちろんです。俺、絶対、伊織さんをしあわせにしますから」
伊織はとうとう箸を置き、両手で顔を覆ってしまった。ほろほろとはな江の笑いが響く。
「そしたら、ごゆっくり」
はな江が部屋を出て行ったあと、そっと座卓を回り込んで声をかける。
「伊織さん」
手にかけた手は振り払われてしまったが、覗いた耳の先が真っ赤だ。
颯馬はその耳の先に、ちゅっと触れるキスを落とした。誓いのキスの代わりとして。
2016-07-31
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