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きみの味方 ―『てのひらにひとつ』SS

四人がけのテーブルは、奇妙な緊張感で満ちていた。母と兄と俺。そして、兄の連れてきたお客さん。
兄の横に座ったその人は、かなり年上の、ありていに言ってしまえば「おじさん」だった。個人宅を訪問するにはやけにかしこまったスーツを着ているが、特別格好いいわけでもなく、なんていうか……すごく、普通な感じの人だ。
兄――和音はさきほどからじっとテーブルの一点を見つめている。隣に座った母から困惑の気配が伝わってくる。正直、俺も戸惑っていた。
今日は、和音から「大事な話がある」、「会わせたい人がいる」、「家に連れてくるから」と言われていた。母も俺も、和音がいよいよ恋人を紹介してくれるんだと勝手に思い込んでいた。真面目で奥手な和音に恋人ができたらしいと気づいて一年ちょっと。最近、数日の外泊も増えたし、もしかして結婚するんだろうか。早かったような、長かったような……今結婚するって言い出したら大学出てすぐだよな。早いよな……とにかく、よっぽどのことがなければ祝福するつもりで、楽しみにしていた。
……が、目の前にいるのは、どう見てもただの「おじさん」だ。母が混乱するのも無理はない。
お客さんが、ふっとやわらかくほほ笑んだ。そのときになって初めて、俺は彼がこの場でもっとも自然体でいることに気づいた。家族の中に一人、他人が混ざり、怪訝な視線を向けられて、それでもごく自然にかまえていられるって、実はすごいことじゃないだろうか。よっぽど自分に自信があるか――そうじゃなきゃ、よほど、覚悟を決めているか。
やさしく、あたたかな人柄がにじみ出すような微笑を浮かべ、彼はすっと丁寧に頭を下げた。
「改めまして、日下部拓道です。和音さんと恋人としておつきあいさせていただいています」
――ああ、やっぱり。
俺の感想はそれだけだった。それ以外、浮かんできやしなかった。


和音は三歳年上の俺の兄だ。家族は、母と兄の二人。父親は知らない。俺が小学校に入った頃まで一緒に暮らしていたはずだが、顔もほとんど覚えてない。
俺が知っている限り、母は度を超した仕事人間だった。明るく、はつらつとしていて、俺たちにはやさしかったが、とにかく頭の回転が速く、何かしていないと我慢ならない人らしかった。ないがしろにされていると感じたことはないが、仕事と俺たちを天秤にかけたらどうなるのか、兄も俺も、一度もきいたことはない。きいたら怖い答えが返ってきそうできけなかった。そんな人だ。
母がバリバリ働いてくれたおかげで、母子家庭でも家計はそれほど苦しくはなかった。その証拠に、兄も俺も、母の勧めであれこれ習い事をさせられた。ピアノは、先に兄が習い始め、一年遅れで俺が続いた。たくさんあった習い事の中で、ピアノだけが長続きした。というか、和音も俺も、それしか眼中に残らなかった。
学校から帰って寝るまでの時間を半分こしてピアノを弾いた。上手に弾けるようになるのが単純に嬉しかった。やがて技術とともに表現力を気にするようになり、俺たちの電子ピアノは防音室付きのグランドピアノに変わった。それでも、時間を半分こして弾く習慣は変わらなかった。
だから、中学二年になった和音がピアノをやめると言い出したとき、俺にはその理由がわからなかった。和音も俺もピアノが好きで、大好きで、弾いていられれば幸せで、それはきっと二人とも、一生変わらないのだと当たり前のことのように信じていた。突然の和音の心変わりが俺には理解できず、裏切られたようにも感じた。
それが間違いだったと気づいたのは、ずいぶん後になってからだ。
高校の受験勉強があるからとピアノから遠ざかっていた和音は、近くの高校に合格した後もピアノに触れようとはしなかった。
時間はできただろう。また弾けばいい。そう俺が勧めても、和音は「おまえの練習があるだろ」と笑い、けっして防音室に入ろうとはしなかった。たしかにその頃には俺は将来ピアニストになりたいと思っていたし、コンクールに出て、それなりの結果を得てもいた。でも、それと和音がピアノが弾かないのは別の話だ。和音はもうピアノにも音楽にも、まったく興味がなくなってしまったんだろうか。
――そんなことを思っていた中学時代の俺を、俺はぶん殴ってやりたい。
いつの頃からか、和音は俺がピアノを弾いていると、防音室と部屋の隙間に入り込むようになった。そこで勉強していることもあれば、小難しい本を読んでいることも、膝を抱えて寝ていることもある。好きな曲を弾いてやると、うれしそうに笑う。俺のピアノの録音データをほしがるようになり、やがてあれこれとリクエストもしてくるようになった。音楽に興味がなくなったわけでも、ピアノが嫌いになったわけでもないらしい。でも、かたくなに防音室に入ろうとはしない。どういうことだ?
その疑問が解けたのは、和音が大学に受かったときだった。お祝いの外食から帰って、和音が風呂に入っていたときだったと思う。母がぽつりと漏らした。
「和音には頭が下がるわ」
「高校も大学も、一発合格だもんな」
「それもだけど、……」
母はめずらしく次のことばに迷っていた。
「なに?」
「……澄音ももう高校生だもんね。知っててもいいかな」
俺の顔を見つめて、母が聞かせてくれた事実は衝撃だった。
「お兄ちゃんね、高校は三年間、授業料免除だったの。そのために一生懸命勉強してたの、澄音も知ってるでしょう。大学も、本当はもっといいところだって行けたけど、入学費免除で奨学金をもらえるところを選んだのよ。四月からのバイトももう決めたって」
「……、それって」
それがどういう意味か、俺はもう、わからない年じゃなかった。……だからこそ、母さんは話してくれたんだと思う、けど。
「和音は、……家のために、そうしたってこと?」
――俺のために、とは、きけなかった。指先が冷たくなる。もしかしたら……いや、たぶん、そうなのだと、俺はもう気づいていた。
「……うち、そんなに、家計苦しかった?」
「……二人を音大に行かせてあげるのは、無理だったかな」
母は情けなさそうに、悔しそうに、眼を伏せて、口元をゆがめた。
「でも、本当は、そこまでしなくても大丈夫なの。たぶん、奨学金を借りてくれたら、普通に大学に通わせてあげることはできたと思う。……でも、お兄ちゃんは、きっと、それじゃだめだったのね」
俺はふらふら立ち上がり、リビングを出て、防音室のピアノの前に座った。蓋を開け、鍵盤に指を走らせる。
兄と俺、二人にと買ってもらったグランドピアノ。時間をはんぶんこして弾いた。どちらが先に弾くかはじゃんけんで決めた。ほとんどけんかをしない、仲のいい兄弟だった。
でも、俺は知ってる。和音がピアノをやめたとき、俺は既に兄の技術を追い越しかけていたこと。表現面ではとっくの昔に追い越していたこと。兄にはない才能が俺にはある。だから、それが悔しくて、和音はピアノをやめたのだと思っていた。競争に勝てないから放り出した。興味がないふりをした。和音がピアノを好きな気持ちは、俺と同じように、もっと純粋なものだと思っていたのに。兄は俺とピアノを捨てた。裏切った。そう、心の底で思っていた。そんな兄を軽蔑するような気持ちすら持っていた。
たぶん、それも、まったくの的外れじゃないんだろう。高校生なりに、大学生なりに、和音ができる限り経済的に自立しようとするのは、ピアノに、音楽の神様に選ばれなかった、兄のプライドなんだと思う。
でも、それは物事のごく一面に過ぎなかった。
和音は、兄は、俺にピアノを譲ってくれたのだ。二人でピアノを弾いていたころ、交替の時刻になっても、どうしてもあと一回弾きたいとごねた俺に、「あと一回」を譲ってくれたみたいに。兄は俺に、ピアノのある人生を譲ってくれたのだ。防音室に入ること自体やめなければ思い切れないほど、本当は、ピアノが好きだったのに。
言ってくれたらよかった。なんで相談してくれなかったんだ。いろんな感情が迫り上がり、喉元まで出かかった。
だけど、そういうことばを、俺は口にしなかった。
残酷な言い方だが、兄に才能がなかったのは事実だ。そして、俺はピアノから離れることはできない。そういう、動かしようのない事実を横に置いて、申し訳ないとか、かわいそうだとか、感情にまかせたことばを、兄が望んでいるとも思えなかった。
その代わり、和音がいつかわがままを言うときが来たら、そのときは何が何でも和音の味方でいてやろうって決めた。世界中が「違う」って言っても、「その通りだ」って肯定してやろう。世界中が敵になることがあるとしても、俺だけは和音の味方でいてやるのだ。


だから、思った。「ああ、今だ」って。
しん、と沈黙の落ちたダイニングテーブルの向こう、和音はテーブルの一点を見つめて微動だにしない。
真剣な顔の日下部さんと目が合った。見た目はほんと、普通のおじさんだ。でも、見るからに誠実そうだった。なんか、妙に納得する。……うん。こういう人を選ぶって、すげぇ、和音らしい。まさか男で、こんな年上とは思わなかったけど。
いいよ。和音が選んだのがこの人ならいいよ。俺は和音の味方だ。この人といることが和音のしあわせなんだったら、俺は和音とこの人の味方になる。たとえ、世界中が反対しても。
絶句している母を横に、俺は背筋を伸ばした。
ありがとう。和音を選んでくれて。お礼に、あんたの味方にもなってやるよ。
それが伝わるよう、にこっと笑った。
「来てくれてうれしいです。和音の弟の澄音です。俺、ずっと、あなたに会いたかったんですよ」
2013-04-01
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